2度の留学・タイ🇹🇭インターン

京都の学生3回生(*'ω'*) フィンランド🇫🇮ヘルシンキ大学留学 ドイツ🇩🇪テュービンゲン大学留学 ヨーロッパを中心にひとり旅✈️ 現在はタイ🇹🇭にてインターン中!↓より詳しい情報はこちら↓ オリジナルサイト「にゃるらとりっぷ」https://nyarlatrip.com/

たったひとつの選択とたくさんの可能性

 

「後悔」したことはあるだろうか?

 

ない!

 

と答える人はほぼ間違いなく

いや、きっといないだろう

 

 

というより希望的観測としていないで

 

欲しい

 

そんな人がいれば、いればいるほど

私は嫉妬してしまうだろう

 

とはいえ、その人が気質として「鈍感」

 

なのか、無意識に「妥協」してしまっている

というのがおおよそであろうが

 

本題に戻ろう

 

あなたが会社や学校に向かう時

 

いつも通るであろう道Aを通るか

 

たまたま気まぐれで道Bを通るか

 

またまた何の因果か

道無き道Cを通るか…

 

実際の物理的、物質的「道」ではなく

目に見えない道

 

運命の道だとか将来の選択の道だとか

そうゆうものにも道はあって

 

コンビニに行った時、数ある飲料の中から

 

コーラを選ぶかソーダを選ぶかお茶を選ぶか

 

そうゆうものにも道があって、

実はその前にも

「コンビニに入る」という選択をしたわけで

 

人は一日何百、いや何万という選択を無意識に行って生きている

 

 

言われてみるととても壮大だとは

思わないだろうか?

 

 

もっともそれは、道という言葉より

「習慣」や「慣習」と言われるかもしれない

 

 

それらの道を選択する中で

選ばれなかった他の道

 

(この場合可能性といったほうが

                                           しっくりくるだろう)

 

について思いを馳せたことはあろうか…

 

 

例えば、人生に必ずやってくる大きな節目

 

例えば「受験」を例にとろう

 

数ある志望高校・大学の中から

 

自分に合った

はたまた自分には易しい・難しいところを

選び、受験する

 

志望高校・大学が文字通り死亡高校・大学

 

になってしまう場合もあるし、

受かったからといって

そうならないとも限らない

 

不運か幸運か私たちは物質的に1人である

 

第一志望校を大学A(たったひとつの選択)にすることは、他の選択肢である志望校B.C.D.E.Fを捨てることになる

 

考えてみると少し残酷なのかもしれない…

 

社会人になるとこの「選択」

は難題化・増大するだろう。

 

なぜなら、その選択をこれまた良くも悪くも

 

1人

あなた自身でしなければいけなくなるからだ

 

1人で決めるということは楽である

 

しかしそれは責任も1人にのしかかる。。。

 

 

「大人になること」

 

 

それは、数え切れない意味を持つ

それを多角的に、はたまた批判的にみると

 

もはや訳がわからない

 

とはいえこの場合、私が思う大人とは

 

この記事、この文脈からし

 

「無数の選択肢の中から最良を選べる人」

                                        ではないかと思索する

 

正直言って、神様や仙人でない限り

 

それが「最良」であるのか「最悪」なのか

「最良に見えて最悪」なのか

「最悪に見えて最良」なのか

 

そんなこと分からない、分かるわけがない

 

しかし、だからこそ

人生は面白いのかもしれない

 

それを面白いと捉えるかどうかは人それぞれ

であるが、少なくとも私は、私が神様で、全てを知っている、つまり全知全能のゼウス的存在なのであれば、それはそれでつまらない

 

「やってみなければ

                             分からないじゃないですか」

 

私はこの言葉を座右の銘とする。