2度の留学・タイ🇹🇭インターン

京都の学生3回生(*'ω'*) フィンランド🇫🇮ヘルシンキ大学留学 ドイツ🇩🇪テュービンゲン大学留学 ヨーロッパを中心にひとり旅✈️ 現在はタイ🇹🇭にてインターン中!↓より詳しい情報はこちら↓ オリジナルサイト「にゃるらとりっぷ」https://nyarlatrip.com/

自分は他人

 

ある日夢を見た。

 

現実なのか幻想なのか、

 

前日に読んだファンタジー小説の影響なのか、

『不安』に思っていることの集合体なのか、

 

「何か」も

「なぜ」も

「どこから」

やってきたのかもおぼろげな…

 

 

テストなら完全赤点の解答とともに

『それ』はその日一日中頭から離れない。

 

 

別に瑞夢というわけでも

はたまた悪夢というわけでもない

 

心に響いたその夢は表裏一体かのごとく

 

その日一日をふんわりと

それでいてねっとりと

ふわふわと

 

包み込んだ。

いや、離さなかったのは僕かもしれない

 

離すということがもったいなくて

 

忘れないように、決めつけないように

 

あえて夢見心地のままそれを僕の中に

 

幽閉した。

 

そんなことを考えているうちに

僕は僕という人間について考えた

 

『僕』とは一体どういう人間なのか。

 

果てし無いその疑問を

 

なんだかわからない気持ちのまま

 

それでいて冷静に分析し始めた。

 

周知の通りそんなものに100%の解はなく

解が出たところでそこで諦めたか

わかったような気で定義づけをしたか

 

そんなようなものなのだが、

理屈を抜きにして

 

回顧的にそして懐古的に

客観的な視点も含めて分析した

 

そこで気づいたことがある。

 

 

これは僕だけなのか

それとも普遍的にそうなのか

それはいささかこの場合問題ではないが

 

 

少なくとも僕は自分を形作る構成要素に

 

 

 

『他人』が含まれることに気づく

 

 

多かれ少なかれ

恋をしているとき

好きな人に寄せに行ったり

好かれるような行動をとろうと思ったりした

ことはないだろうか?

 

8割ほどの人はあると答えるだろうし、

 

 

いろんな理由で

ないと答えるものもいるだろう

 

 

それでは、

友達、いや親友はどうか

 

 

親友に好かれるように

少なくとも嫌われないように

振る舞うのではないか

 

 

例えば就活も原理は同じだ

(そうでないことの方がもちろん良いが)

企業という「他人」を分析「顔色を伺い」

クリティカルヒットの解答を与える

 

 

 

意外といつもやっていることなのだ。

 

 

 

猪のように我が道を行くというような

例外を除くにしても

 

 

それが多数であることに間違いはないだろう

 

つまり、自分の構成要素の大部分は

他人、ないしは他人の「願望」なのである。

 

 

他人は自分をつくり、自分も他人をつくる

 

 

要素が、一つ一つ艶やかに

それでいて一見気だるそうに

密接にくっついて離れない。

 

 

 

もっと言うとそんなに簡単なものではないし

言ってしまうと難解なものとも言えない

 

 

 

要はどこでどう線引きをするかであり

その定義は人それぞれだ

 

 

分かったような文章を

分かったような気持ちで書いたが

こんな文章は一見意味があるかのようで実は

 

 

無意味である

 

 

かといって後悔はしないし

たまにはこういうのも面白い

 

 

果たしてあの夢はなんだったんだろう。

 

 

今となっては特に気にならない。